STORY 02 / 04

被災地で受け取ったものを、
これからの備えへ。
被災地で受け取ったものを、
これからの備えへ。

地域の七夕祭り。本人の講話資料より。

3.通う理由は、人との出会いに変わっていった。3.通う理由は、
人との出会いに変わっていった。

2013年、ツアーの事前調査をする中で、「若興人の家(わこうどのいえ)」という活動を知りました。

首都圏の大学生が陸前高田に継続して関わるための拠点をつくり、地域の人と交流する活動です。築年数を重ねた古民家を改修して、学生が滞在し、活動できる場所にしていく。建築を学んでいた私には、関心を持つきっかけがいくつもありました。

2013年10月から、学生ボランティアリーダーとして参加しました。

古民家の改修をしたり、室内の使い方を考えたり。東京で学生同士の打ち合わせをし、現地での活動を調整したり。初めて訪れる学生を迎え、町を案内することもありました。

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地域の人に話を聞き、町を歩き、歴史や暮らしを知る。七夕祭りにも参加する。そうした関わりの中で、震災による被害だけでは分からなかった町の姿を教わっていきました。

地域の魅力発信誌「たかたる。」の制作や、震災前の町並み、人の記憶を残す活動にも関わりました。

最初は、被災地の力になりたいという思いで通っていました。けれど、訪れるたびに顔を知っている人が増え、その人に会うことや、一緒に活動することが、通う理由になっていきました。

大学を卒業して東京で働き始めてからも、関わりは続きました。

地域の方々との交流写真。

4.迎えてくれる人がいる町へ。4.迎えてくれる人がいる町へ。

陸前高田で好きになったのは、海や山の景色、おいしい食べ物だけではありません。

あいさつをしてくれる子どもたち。声をかけてくれる地域の人たち。若者のやりたいことを応援してくれる人たち。

そして、訪れた私を「おかえり」と迎えてくれる人がいることでした。

何かを手伝いに行っているつもりだった場所で、私自身も、人とのつながりを受け取っていました。

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陸前高田は、支援に行く場所から、自分が帰りたい場所へと変わっていきました。

大学を卒業してからは、東京で約3年間、まちづくりや都市計画に関わる仕事をしていました。その間も、陸前高田との関わりは続いていました。

そして2019年4月、私は陸前高田へ移住しました。

移住後は、学んできた建築を生かして設計の仕事に就き、その後、移住支援や地域との関係づくり、防災伝承、広報などにも関わりました。

一直線に、迷いなく仕事を選んできたわけではありません。自分が何をしたいのか、何ができるのかを考え直すこともありました。

その中で、仕事の肩書だけでなく、自分が喜んで続けていることに目を向けるようになりました。

町の記憶の模型を説明している活動写真。

5.自分が続けたいのは、「残す」ことだった。5.自分が続けたいのは、
「残す」ことだった。

人の話を聞くと、メモを取りたくなる。写真を撮ったら、整理して残したくなる。昔の暮らしや、人が覚えている出来事を聞くことも好きでした。

自分の行動を振り返ったとき、「残す」という言葉が見つかりました。

取材をする。文章にする。写真を選ぶ。冊子にまとめる。展示や広報を考える。

扱うものは違っても、人が経験したことや、大切にしていることを受け取り、ほかの人にも伝わる形にする。その仕事に、私は関心を持ち続けていました。

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「たかたる。」では、地域の人の話や、町の魅力を伝える制作に関わりました。地域の歴史、文化、郷土芸能、祭り、職人の仕事など、話を聞くことで知る世界がありました。

防災の分野でも、冊子や事例集、展示、講話資料などの制作に携わりました。

話を聞いたことを、ただ並べるだけでは伝わりません。誰に読んでもらうのか、どんな場面で使うのか。どの順番なら分かりやすいのかを考え、言葉や見せ方を整えていきます。

今、私が制作の仕事で大切にしている「まずは話を聞く」という姿勢は、こうした関わりの中で積み重ねてきたものです。